障害を社会の仕組みから捉え直してみよう

障害を社会の仕組みから捉え直してみよう 医療モデルから社会モデルへ

こんにちは。平林です。

今日は千葉県の都賀にある植草大学(http://www.uekusa.ac.jp/)によんでいただいて、一般の方に向けた公開講座ひとコマと、学生さんの集中講義(障害のある子どものICT活用)ふたコマを担当させていただきました(帰り道にこれを書いています)。

子どもたちと日常的にかかわる学校の先生になる学生さんたちに、伝えたいと思っていることはたくさんあって、授業はついいろいろと盛り込みたくなりまとまりがなくなってしまいます。

今回の授業で取り上げたトピックの中から、障害の社会モデルについて書きたいと思います。

障害の捉え方は変わってきている〜医療モデルから社会モデルへ〜

1980年にWHOはICIDH(International Classificasion of Impairment, Disability, and Handicap)という障害分類を公開しました。これは,障害を機能障害(Impaierment)と能力障害(Disability)と社会的不利(Handicap)という3つの階層に分けて整理した非常にシンプルでわかりやすい分類です。

たとえば,「わたしが脳梗塞を起こしたとしたら」を例として考えてみます。

言語野の脳細胞が死ぬ(機能障害)

流暢に話せなくなる(能力障害)

授業ができなくなり,教師としての仕事を失う(社会的不利)

特別支援を学ぶ時には,この分類はかならず勉強するのではないでしょうか。

このICIDHは2001年に改定され,ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)という個人要因と環境要因を取り入れた新しい分類に変わりました。

これは,同じ機能障害や能力障害があっても,個人の状況(住んでいる国や,ついている職業など)によって,社会的不利が生じたり生じなかったりするため,ICIDHで示した階層モデルで説明できないものがあることがわかってきたからです。

たとえば,わたしが交通事故にあって,脚を切断したとしたらどうでしょうか。

片足がなくなる(機能障害)

歩けなくなる(能力障害)

(今のしごとは車椅子に乗ってもできるように思うので,失業するといった大きな社会的不利は起きない)

もし私が大学で働いているのではなく,プロのテニスプレーヤーだったとしたらどうでしょうか。車椅子に乗って公式戦に出場することは認められていないので,テニスプレーヤーとしての契約は更新できなくなり,プロのテニスプレーヤーは失業となるかもしれません。

この説明は指導教官の受け売りですが,わたしは,この分類を勉強してなるほどと思った記憶があります。

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”hirameki.jpg” name=”ポイント”] 障害というのは個人と環境との相互作用によって生じるもの[/speech_bubble]

という理解が国際標準になっています。

その個人のついている職業という環境の違いによって,生じる社会的不利の大きさは変わってきます。そして,その社会的不利は社会の仕組みやルールによって生じると考えられます。

 

印刷物障害(Print Disability)

アメリカには印刷物障害(Print Disability)という障害の捉え方があります。

これは紙の印刷物が情報を伝える媒体として広く使われていることにより、紙の印刷物にアクセスすることが難しいひとに、その不利益が集中することにより生じている障害を指します。

印刷物障害に対しては、情報を渡す媒体を電子ファイル等の紙以外の形式にすることで、その障害をなくすことができます。

視覚障害、肢体不自由、読み書き障害という従来の障害名で障害を捉えると,障害は個人の身体や特性に紐づけられたもののように捉えられがちです。しかし,印刷物障害という概念は,障害を社会の側の問題としてみる別の視点を私たちに与えてくれます。

印刷物障害と同じ考え方に立てば、書くことの困難さも、社会が文字を手書きすることを前提にしているが故に生じている手書き文字障害(Handwriting Disability)と捉えることが可能です。

書字障害や肢体不自由と捉えてしまうと、障害名に気をとられ、支援の方法が共通していることに気づけないこともあります。

手書き文字障害は実際に使われている用語ではありませんが、これから広まっていくかもしれません。

障害を医療モデルで捉える限りは,治らないものを障害と呼ぶわけですから、障害は無くすことはできませんし,無くすべきものなのかといえばそうともいえないでしょう。

しかし、上記のように障害を社会的に捉えると、社会を変えれば障害はなくすことは可能だと言えます。

個人特性に注目した障害名から、社会の問題に注目した障害名に転換していくことができるといいなと思います。

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