教育ソフトの開発をされているレデックス株式会社さんのメールマガジン『レデックス通信』に書かせていただいた「タブレットPCを使って読み書きを楽に楽しくするために」3回シリーズの最終回です。
https://www.ledex.co.jp/mailmag/20190531
もくじ
「合理的配慮」という言葉をご存知でしょうか。2016年4月に「障害者差別解消法」が施行され,学校教育においても障害のある児童・生徒が教育に参加する際に,障害により生じている制約が原因で十分に学ぶ機会を得られない場合には,本人からの申し出に応じ,その参加を保障するための合理的配慮を提供することが公立学校※に義務付けられました。
※東京都においては,2018年10月に「東京都障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」(パンフレット)が施行され,公立学校だけでなく私立学校でも合理的配慮の提供が義務化されています。
合理的配慮は配慮提供者側に過度な負担にならない範囲で,本人が教育に参加するために必要なルールの変更調整(=ルールに例外を設ける)を行うために話し合いをすることを指します。
合理的配慮とは特定の支援を指すわけではありません。ここにはときおり誤解があります。それは,書字障害だからワープロ利用を認める、視覚障害だから点字利用を認めるなど、今までの障害カテゴリ(視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、発達障害といった枠組みのこと)に応じて特定の支援があるという誤解です。
しかし,合理的配慮は話し合いを始める前に決まっているものではありません。障害のある人が障害がなければ当然参加できる活動に、障害を理由として参加に制限がある・参加ができないという場合に、参加ができるように本人とその活動の担い手とで話し合いをして、合意を作ってください、というものです。
したがって、合理的配慮のための話し合いは自動的には始まりません。本人が自分はこういう場面でこのように困っていると伝えること,こういう変更や調整をしてほしいと伝えることがはじまりとなります。
この連載「タブレットPCを使って読み書きを楽に楽しくするために」では読み書きの困難さをタブレットPCで補うことに焦点を当ててきました。読み書きの特異的困難をディスレクシアと言います。ディスレクシアはその困難さを目で見ることができない障害です。そのため学校や保護者,時には本人でさえもその困難を障害※として認識していない場合があります。
※障害という言葉は現在,「個人の能力の問題(障害の個人モデル)」として捉えるのではなく「社会の仕組みの問題(障害の社会モデル)」として捉えるのが適切だと考えられています。読み障害を「文字が読めない個人の状態」と捉えるのではなく,「情報が紙の印刷物に書かれた文字を読むことでしか得られない学校や社会の仕組みの問題(アメリカにはプリントディスアビリティ(印刷物障害)という概念があります)」と捉えることが適切です。
[参考記事]
・平林ルミのテクノロジーノートALT, 「障害を社会の仕組みから捉え直してみよう」
・障害の社会モデルについては,東京大学バリアフリー開発研究センターがイベントの企画等,さまざまな取り組みをしていますので,ウェブページをのぞいてみてください。詳細はこちら>>
そのため,本連載第1回・2回でお示ししたようにタブレットPCを学習の中に取り入れながら,子ども本人の自己決定を尊重しながら,タブレットPCの活用を考えていく必要があります。
それでは,本人がタブレットPCの活用を経験した上で学校での具体的な学習場面で使用することを自己決定した場合,次のステップはどのようなものになるでしょうか。ここからが合理的配慮を得るために話し合いをしていくというプロセスになります。
どのような困難が日常の学校において生じていて,どんな配慮が必要なのかを学校に相談しましょう。 学校での学習活動は,大きく宿題場面・授業場面・テスト場面の3つがあります。どの場面でどのような困難が生じており,具体的にどういった配慮が必要なのかを学校の方に申し出ます。申し出る先は,担任の先生でもいいですし,その他,各学校には特別支援教育コーディネーターという調整役の先生が必ずいますので,特別支援教育コーディネーターに連絡するのもよいでしょう。
学校への申し出を行ったら,学校と話し合いがスタートします。申し出の内容が了承され,具体的に配慮をどう実現させていくかという話が進んでいけばそれでよいのですが,時には,「その配慮がどうして必要なのか,その根拠を示す」というステップが必要になる場合があります。
「その配慮がどうして必要なのか,その根拠を示す」ステップというのは,具体的には専門機関に行って,評価(知能テストや読み書きテスト)を受け,診断を医師に書いてもらう等を示します。ここで注意が必要なのは,合理的配慮を学校が提供するために医師の診断は必須ではないということです。
専門機関に行き,評価をうけることは,学校の理解を得るためのの一つの選択肢ではありますが,それを学校が要請してしまうと,専門機関に行くことができない場合や評価を受けられない場合には合理的配慮が受けられないということになってしまいます。それは,この障害者差別解消法の理念に合っていません。
個人的には,普段の学習での配慮について学校と話し合いをする場合と,高校受験や大学受験での受験状の配慮では,「その配慮がどうして必要なのか,その根拠を示す」というステップの重みが異なるのではないかと思っています。
今後このあたりの議論が進んでくると,小学校・中学校といった初等中等教育での合理的配慮のプロセスが具体化していくと思います。今は,まだ進行中でいろいろな議論が生まれているところと言えるのではないでしょうか。
実際に学校で合理的配慮の内容を決定する際に,子どものプライバシーを尊重することはとても大切です。
しかし,通常の学級でみなと同じ教育にアクセスするために,どうしてもその障害が周囲にあらわになってしまうことを避けられないという場合があります。
特に,タブレットPC等のICT機器は未だ学校の中で子どもたちが自由に使用出来るものではありません。そのため,教室内で使用していれば,目立ってしまうことは避けられません。
したがって,学校の先生はその子どもがなぜ ICT機器を使用するのかを 他の子どもたちに説明しないことには,他の児童生徒が それを不公平であるという感情を持つことを招きかねないため,秘密裏に配慮を提供することができないという問題があります。
だからといって,学校側が「周囲に説明しなければ使用させない」としてしまえば,本人の学ぶ権利が守られません。
どのように周囲の理解を得ていくのか,説明するとすればどのようなことばで説明するのか,本人と学校とで一つ一つ相談して進めていくことが大切です。
また,「周囲の子も同じようなニーズを持っているかもしれないから使用は許可できない」という考えもまた誤りです。合理的配慮は本人からの申し出を尊重し,話し合いを進めます。
ですから,「周囲の子も同じようなニーズを持っているかもしれないから使用は許可できない」という考えは,本人からの申し出がないのに勝手にニーズを汲み取っているという点で問題があります。
実際に読み書きが苦手な子どもに対してタブレットPCの活用を認めている学校では,周囲に説明する際に「他にもタブレットPC利用を希望している人がいたら先生に言ってきてください」と付け加えるという工夫をしています。
これによって「学校は窓口を開いていますよ」と伝えることができるので,もし他に希望を持つ子どもがいれば,そこから話し合いをしていくことができます。こういった形で周囲の理解を得るための工夫もしながら合理的配慮の話し合いを進めていくとよいでしょう。
タブレットPC等のICT機器を必要とする子どもたちが通常の学級でICT機器を利用して自然に学ぶためには「個人にはそれぞれに合った方法で学ぶ権利がある」ということを本人・先生・クラスメイトが理解していくことが大切です。
スマホ・タブレットを学習に役立てる視点は,
・中邑賢龍・近藤武夫. (2012). 『発達障害のある子を育てる本 ケータイ・パソコン活用編』. 講談社
学校でのICTを活用した合理的配慮の実際については,
・近藤武夫編著(2016):『学校でのICT利用による読み書き支援−合理的配慮のための具体的な実践』.金子書房
合理的配慮に関しては,
・川島 聡・飯野由里子・西倉実季・星加良司 (2016). 『合理的配慮―対話を開く, 対話が拓く』. 有斐閣