こんにちは。平林です。わたしは最近,新しいことに挑戦したり新しいことを学ぶときに感じる「わからなさ」や「いらだち」を大切にしたいと考えています。この「わからなさ」「いらだち」は,子どもと対話するときに自分の中に湧き上がってきてしまう「押し付け」を抑制するのに役立ちます。
学びプラネットの今月のセミナーはブックトークを開催することにしました。扱う本は『「社会」を扱う新たなモード」』という,「障害の社会モデル」の本です。本を読むことは新しいことを学ぶための重要な方法ですね。
書籍『「社会」を扱う新たなモード」の詳細情報はこちら>>
この本『「社会」を扱う新たなモード」』の共編著者は,いつもポッドキャスト「となりのニューロダイバーシティ」を一緒にやっている飯野由里子さんです。このイベントでは,わたしが読み書きが苦手な子どもたちとの対話を通して見ている学校の問題は,この本が論じている視点ではどのように考えられるのか。そして,わたしがちょっとピンとこないけれどどう考えたらよいのかと思っていることについて,飯野さんに提示してみようと考えています。
読み書きが苦手な子どもたちが学校で学ぶとき,さまざまなバリアにぶつかります。読み書きが苦手な子どもがバリアを経験するのは,文字が読めないから・文字が書けないからなのでしょうか。
学習障害や読み書き障害の子どもたちは,読み書きが特異的に(その領域だけという意味で使われる言葉です)苦手であると言われますが,全く読んだり書いたりできないわけではありません。
書くことを例に挙げるならば,学校生活の中には多様な形で手書きをする場面があります。
その活動の中で「書ける」「書けない」という状況にも多様なバリエーションがあります。例えば「書ける」には書けるけれど字形が整わず他者が読めない(時には自分も)・「書ける」けれど極度に疲れる・テスト前に練習した直後は「書ける」けれどしばらくすると書けなくなる,「書ける」けれどその間に話されたことは聞けない,文字を見て「書ける」けれど思い出して書くことはできないなど,「書ける」状態はさまざまです。そして「書けない」には,作文を書いたことがないので何を書いたらいいのかわからず「書けない」・自分が書いた字を見られたくなくて「書けない」・板書しても見返さないので意味が見出せずに「書けない」ないなども含みます。
つまり,読み書きが苦手な状態とは読み書きに負荷があるために情報のインプットとアウトプットがスムーズにいかない状態と捉えるとよいのではないでしょうか。
この「読み書きに負荷がある状態」は,学校などで誤解を受けやすいものと言えます。調子の良いときはできることがあることで,読み書きに負荷のある状態を軽く見積もってしまいます。その結果,子どもにもう少しがんばろうという圧力がかります。こういった圧力をかけるのは子どもの周りにいる人(学校の先生や保護者など)だけでなく,子ども本人が自分の中に規範として持っていることで,自分に圧力をかけていることがあります。
「がんばれるなら,がんばらないと,怠けていることになる」「配慮を受けていいのはがんばっても無理だったときで,がんばる前から相談してはいけない」こんなふうに考えている子どもがいます。
このような規範はどこから生みだされているのか,わたしはそんな疑問を抱えていました。
この障害の社会モデルをテーマとした新刊『「社会」を扱う新たなモード』を読んでいて,この疑問に対する一つの説明が得られたように感じました。
日本で障害者差別解消法の成立によって合理的配慮の提供が義務化されました。障害者差別解消法の理念は障害のある人の権利を守る上でとても重要である一方で,障害者差別解消法における合理的配慮の提供対象が「障害者」に限定されてしまう,誰が障害者なのかという線引きをしようとする圧力が高まり,かえって医学モデルを強めるものとして働く「副作用」が起こっている。障害支援の中に医学や心理学の専門家が流入し,それを拡大している。
第4章「合理的配慮は「社会モデル」を保証するか」にはそのような意味の論考がありました。学校現場で学習障害のある子どもが教室での学び方を調整しようとすると診断を求められる(求められなくても診断があると話が進む)ことがどんな構造によって引き起こされているのか,子どもたちの周りにいる大人たちはこれを知っておく必要があると思います。
第1章「当事者研究と「社会モデル」の近くて遠い関係」では,バリアを引き起こしている主体を社会と個人に分けそれぞれが変えられる範囲でできることをする,としてしまうことで,個人が変えられることにはその人に責任があるということになり,社会が責任を引き受けず放置されることの問題が指摘されています。
がんばったらなんとか書けるうちはがんばらないといけない,そのように子どもが考えてしまうのはこんな構造を反映しているのか。こういった考え方は自分の中にも染み付いていると感じます。
第5章「社会的な問題としての「言えなさ」」は,見えない障害である読み書き障害に関連の深い章です。子どもが自分のニーズを言い出せないのはどのような社会の構造を反映しているのか。また,子どもが表明したニーズが信じてもらえないということがなぜ起こるのか。そして,こういった課題を考えるために社会モデルの視点はどういった貢献ができるのか。子どもが自分で学び方を選ぶための環境作りを目指すわたしにはとても参考になる章です。
いろいろなことを考えながらこの本を読み進めています。というか,何度も読み返しています。
わたしは何かの本を読んでいると,「そうそうそうだよね,その通り。自分が思っていたことを言語化してくれている」と感じる部分と,「これってどういうことだろう?自分にはピンとこないな」と感じる部分,大きく2つの部分に別れるように思います。この2つ目のよくわからない・ピンとこない部分が自分が学ぶべき次のターゲットなのかなと感じます。でも,このピンとこない部分の理解を進めるプロセスは1人では難しいと感じることも多いです。
学びプラネットは読み書きが苦手な子どもたちが自分にあった学び方で学ぶことを支える活動しています。ブックトークを通して,学びプラネットで扱う問題に関心のある方が,「社会モデル」をどのように使えばよいのかを考えるきっかけをつかんでもらえたらと思います。
〈出版記念イベント〉夏休みにちょっと勉強したい人のためのブックトーク「社会の問題(かべ)がよく見えるようになる本」の詳細情報はこちら>>
コメントを投稿するにはログインしてください。