リレーの話

評価を多軸にするということ

こんにちは,平林です。今日は,周囲で話題になった「最近,学校では運動会の徒競走(かけっこ)で順位付けをしないらしい」について。

順位付けをしないのに徒競走をする?いったいなんのためにやるのだろう。

学校が居心地のよい場所ではない子どもたちの話を聞いていると体育や運動会が苦痛という子はとても多い。

一斉に何かをやることが苦痛。

ピストルや音楽等の大きな音が苦痛。

本番だけじゃなくて練習があるのが意味不明など。

体育には体を動かすこと(エクササイズ),運動技能を身につけること,ゲームを楽しむこと,集団行動をすること,つらくてもがんばること,などいろいろな目標が隠れているところがややこしい。

運動会や体育の授業が苦手な子も,体を動かすことや運動技能を身につけることなどは好きだという場合が多い。

どんな運動会だったら楽しいのだろうか。そもそも運動会は何のためにあるのだろうか。

自分の子ども時代を振り返ってみると,そういえば中学の時の運動会,クラス対抗リレーという種目があって,けっこう楽しかった思い出がある。

こんなリレーである。

クラスメンバーが走る距離を決める

40m-90mくらいの幅で走る距離が異なる

・各距離に配置できる人数は決まっている

クラスメンバー走る順番を決める

トラック上には10mごとに線が引かれ,アルファベットがふってある

・バトンは担当地点から20m(だったかな?)までにもらい受けて走る

スタート地点がみんな違うので,けっこうてんやわんや,間違いもいろいろ起こる。

足の速い人がヒーローになるわけではなく,作戦(組み合わせ)やその日の偶然によってドラマが生まれるところが楽しい。

いくら走るのが速くても次の人にうまくバトンを渡せないと,すぐに他のチームに抜かれてしまう。

バトンを渡す・受け取るのスムーズさは,個人の技量では決まらない。足の速い相手からスムーズに受け取るには早めに走り始める,相手が受け取りやすいようにバトンを渡す,焦って相手からバトンを奪い取るようにしようとすればバトンを落としてさらに遅くなる,だから自分のことだけを考えていると,結果的に遅くなってしまう。

このリレーの話を周りにしてみた。

すると,近くの学校ではこんなリレーをやっているよと同僚が教えてくれた。先ほどのリレーと同じように人によって1周・2周と何周するかが違ってその割り当てにルールがあるリレーだそうだ。

これは似てるけどちょっと違う。別のリレーの話を聞いて中学のときの対抗リレーで何が面白かったのかが少しわかった。

走り始めるところが決まっていると,たくさん走る人が誰なのかが周りによくわかる。だから,たくさん走っている人は足が速い人,足が速い人はすごいと今までと同じ価値付け(足の速い人がヒーロー)が行われる。

先のクラス対抗リレーでは,円状トラックに10m刻みでマーカーがおかれ,何メートルの人をどの順番で配置するかによって,途中でバトンを渡す場所がそれぞれ異なる。だから,だれがどのくらいの長さを走るのかはよくよくみないとわからない。

そして,今,どこのクラスが勝っているのかも予測しにくくて,よくわからない。

作戦の組み方にもバリエーションがあった。後半に速い人を固めるのか,それとも前半にするのか,前半にリードが稼げると焦らずに走れるからスムーズにことが運ぶチームもあれば,追いかける方が士気が高まるチームもある。組み合わせによってどのような作戦が機能するのかは異なるので,黄金ルールというものはない。

このクラス対抗リレーは評価軸が多様で,組み合わせによってパフォーマンスが異なる,そんな競技としてデザインされていた。面白いデザインだったな,いま振り返ると思う。

運動会や体育の授業は足が速い子が活躍するための場なんだろうか?

勉強での評価と運動での評価,異なる評価軸にはなるけれど,やっぱりなんだか厚みがない気がする。

工夫することによってパフォーマンスが変化する設計になっていた方が,ゲームとして面白い。個人の能力を比べるのではなく,創意工夫して考えることが楽しい。そういう活動が増えるといいなと思う。

もちろん,このクラス対抗リレーのようなリレーであればみんなが楽しいとは限らないのだけれど。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。